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断捨離で決断きる人になる。モノと向き合うことで自分自身とも向きあう

断捨離は、常に決断をする作業です。

これは、必要なモノなのか、いらないモノなのか、どっち?
これは、持っていて心地よいものなのか、嫌なものなのか、どっち?
これは、私にふさわしいモノなのか、似合わないモノなのか、どっち?

自分の気持ちに正直に決めていきます。

それって、「自分」を保つトレーニングになっているのですよ。
断捨離で決断できる人になる。
かつて、私が育った頃は、はっきりと自分の意向を示すことは少なかったように思います。

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○○ちゃんと一緒、みんなと一緒なら安心だから、多少自分を曲げてでも同じようにするのが当たり前。特に苦痛だとか、窮屈さとかを感じずに、なんとなくそうしていました。

そういう生き方をしていると、時々、不安や焦りでいっぱいになって来るのですよね。

今思い返すと、悩み多き青春時代でした。

学生だった頃のの私は特に不安定で、鬱々していたことが多かったように思います。

当時はなぜそうなのかわかりませんでしたが、今ならよくわかります。

当時の私は、「自分」を持っていなかったから。

友達や部活の仲間との交流が大事で、仲間達の意見が自分の意見だったから。

自分が何をしたいのか、何をするべきなのか意見を持っていなかったから。

仲間から外れないことが大事で、仲間の意向に沿っているのか、違っていないのか常に気にしていました。

そのため、小さなことに一喜一憂していたのだなと思います。

大人になってからもそうです。

田舎での人間関係は、あからさまに自己主張するとまわりから浮いてしまう。

だから、年長者の言うことに逆らわず、適当にお付き合いしていれば無難に過ごせる。

自分を抑えて流されるままに行動していれば楽だから、そのように暮らし続けてきました。

いつの頃からか、40代、50代になってきてからかな。

おばちゃんになってずうずうしくなってきたからなのか、ご近所付き合いの年功序列で中堅どころになってきたからか、わかりませんが。

どうでも良いことには黙っていますが(笑) 自分の主張がある時は言えるようになってきました。

どっちがいい? 何食べる? どれが欲しい? 

昔の私なら、どってでもいい、みんなと同じものを食べる。どれでもいい、と、答えていたと思います。

今は、ずうずうしく、右側のがいい。スパゲティ食べたい。手前のがいい、など、たぶん具体的に答えると思います。

少しずつですが、断捨離で言うところの「自分軸」で考えることができるようになってきたように思います。

自分で決めて発言したり、行動したりするには、責任が伴いますが、自分で決断することで、他人に左右されない自分を保つことができるのです。

同じように、断捨離して、モノと向き合うことは、選択決断するトレーニングであり、自分自身と向き合う作業でもあるのですね。

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